歩き遍路で得たもの
みなさん、こんにちは☀︎
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます😊
僕は昨日まで蒜山高原の友人宅を借り、1人で1週間セルフ瞑想コースをしていました。
ここは周りには誰も住んでいなく、ぽつんと家が立っていて人も車もほぼ通らない最高の立地で瞑想することができ、友人にはほんと感謝しかないです。
この家はガス、電気、水道がなく、井戸水を汲み、薪ストーブが暖房とガスコンロの代わりをしてくれる。夜はオイルランプをつけて法話を聞いたりして過ごしていました。
とても充実した1週間でしたね〜。
ダイニングの薪ストーブ
寝室
ストーブの前で法話を聞く
只今そんな暮らしをしていま〜す^_^
さて今日はこの遍路ブログのシメとなる、遍路で得たものについて書かせていただきます。
遍路で得られるものは一体なんなのか?
歩き遍路でよく耳にする話は
歩き遍路をしたら
ご利益がある(閏年はご利益3倍⁉︎)
厄落としになる
車遍路とは値打ちが違う
お大師様が守ってくれる
病気が治る
などと言われますが、実際に歩き遍路を終えて何が起こるのか、何が得られるのか気になりますよね⁉︎
正直に言うと3回歩いた僕もわかりません!笑
ですが、
因果応報という宇宙の法則があるのであれば、必ず原因があって結果がある。
原因が無ければ結果はない。
僕たちも今存在しているのは、両親の交わりがあったから存在しているのは、紛れもない事実ですよね。
それと同じで、お遍路であっても仕事であってもプライベートであっても、原因があって結果があるんだから、歩き遍路したからご利益があるのかって言うとそうではない。
例えば弘法大師空海のように、四国を歩きながら沢山の人々を助けたりして歩き遍路をしたならば、因果応報と言う宇宙、自然の法則によって得られるものは沢山あると僕は思います。
要するに、日々の生き方が正しければご利益は得られると言うことなんじゃないかと考えています。
歩き遍路をしながら、他人の不幸を願ったり、盗みや悪さをしたりするならば、不幸な結果が得られる。
家族や身近な人、その他の大勢の人々の幸せを願って歩き遍路をしたならば恩恵が得られると思う。
だからお遍路をしたから必ずご利益があるわけではない。
でもね、僕は過去の歩き遍路で沢山の恩恵を受けたのは事実。
いくつもの願いが叶ったのも事実。
その願いが叶ったことを考えながら歩いていたら、お遍路がおわって数ヶ月たった時、願いが叶いましたね〜
使い方があってるかわかりませんが、満願成就ってこのことか!って思いました!笑
そんなことが実際にいくつもありましたね。
願いが叶った以外には、
性格が穏やかになった
些細なことで怒らなくなった
困っている人を助けたい気持ちが溢れてくる
痩せる
若返る
肌が綺麗になる(日焼けはします)
自信がつく
何事にも挑戦しようとする意欲が湧く
自然を愛するようになる
寺、神社、仏閣などに興味が湧く
仏教に興味が湧く
旅が好きになる
四国が大好きになる
などがありました!
でも、歩き遍路をしたから願いが叶ったのか?と言うよりかは、歩き遍路をしている日々がそうさせたのではないかと思います。
歩き遍路はお寺を八十八ヶ所もお参りしますよね。
お寺の山門に入る時は、心の中で感謝の気持ちを持って一礼して入ります。
荷物を置いて呼吸を整え心を落ち着かせ、手を洗い清めて本堂へ行きます。
やっと辿りたい!有難い!ありがとうございます!って気持ちが自然と溢れてきます。
本堂ではお経を唱えたり、自分や家族や身近な人やお世話なった人たちの幸せを願い手を合わせます。
大師堂へ行って、お大師さまにここまで無事に歩けたことに感謝して手を合わせます。
感謝の気持ちを込めて一礼して山門を後にします。
これを八十八ヶ所もします。
それに加えて、四国遍路のお接待文化があるので、些細なお接待でも涙が出るほど嬉しかったり、感動したり感謝したりします。
歩き遍路してるだけでお金とか食べ物もらえるなんてびっくりしますよ!笑
険しい遍路道にある道しるべに、「お遍路さん頑張って!」って書いてあったりしたら、嬉しくて手を合わせたりします🙏
徳島から歩き始めて3-4日で難所の焼山寺12を越え、鶴林寺20から太龍寺21の難所を越えて、平等寺22を歩けば、急に目の前に海が見えるんですよね〜。
この時は遍路ころがしで辛かったことが全部吹っ飛んで、「おぉー!海だぁ〜‼︎」って感動したりします。
日々、色んな絶景を見ては心が満たされていき、幸せだな〜って感じるんですよ!
そんな毎日を過ごしてたら因果応報、自業自得←(実は良い意味でもある)、引き寄せの法則などが必ず作用して、よい結果が得られるんですよね✨
よい種を蒔けば、よい芽が出る🌱
だから歩き遍路をしたら、病気が治ったり、心の病が治って社会復帰や学校へ行ったり、人生の伴侶と出会えたり、生きる元気が湧いてきたりするんです。
大事なのは、どんな気持ちで日々を送るかです。
そうは言っても今目の前に起こっている事が不幸すぎて、幸せな気持ちになんてなれない!
って思う人もいると思います。
今目の前に起こっていることは、過去のあなたが原因を作った結果ということを受け入れるところから始めれば、自ずと道は開けるのではないでしょうか。
要するに、先ずは悪い種を蒔くのをやめること!
そこから始めないと、因果応報は、自業自得、引き寄せの法則は常に働いています。
まずは受け入れること。
言葉で言うのは簡単かも知れません。
実際に不幸の現実を受け入れるなんて難しいです。
でも、まずは受け入れて、不安や恐怖の種を植えないこと。
今できるよい種を蒔きましょう。
必ずよい芽が出ます🌱
「やられたらやり返す!倍返しだ!」って決め台詞がありますけど、絶対やり返したらダメですよ!笑
こんなことを信じてしまうから、僕たちは間違った負の連鎖へ進んでいっちゃうんですよね〜
シーラ:道徳律
1.嘘をつかない、間違った言葉を使わない
2.盗みを働かない
3.生き物を殺さない
4.性的過ちを犯さない
5.酒や麻薬などを一切摂取しない
これを日々の生活で実践していけば、自然とよい方向へ進んでいきます。
ニュースで話題になっているのは、この5つのどれかに反した行為をした人たちです。
あと、もう一つ。
過去世のカルマ(業)もあると僕は思っています。
過去世で蒔いた種が、今世で芽を出すことは十分にあり得る。
そんなこと言われたらどうしようもないと思うかも知れませんが、それでも今あなたができるよい種を蒔けば、未来はよい芽が出ます。
幸せそうな人を見て羨んだり、妬んだりするのではなく、「あの人は徳を積まれた人なんだな!私もよい種を蒔き徳を積もう!」って思えばよいと思います。
でも、他人と比べるのではなくて、自分自身を観察して、悪い種を蒔くのをやめて、よい種を蒔く。
それでいいんじゃないかな。
あ!話が少しずれたかな!笑
今回の歩き遍路で得たものを書くつもりだった!笑
では、改めて
今回の歩き遍路で得た大きな学びは何かと言うと
「中道」が如何に大切かを学びました
正直、毎日暑かったり、荷物が重かったり、足が痛かったりと、全体を通して苦行に近かった歩き遍路でした。
特に辛かったのは、瞑想ができないことがキツかったですね。
坐っても集中できず、意識があっちへ、こっちへと、虫刺されが痒かったり、周りがうるさかったり、暑かったり、疲れすぎたりと。
ブッダが言っていた「苦行に意味は無い」という事を今回の遍路で身をもって経験しました。
ブッダは悟りを得た後、まず最初に5人の弟子に中道と八正道を説かれたとっても重要なことです。(初転法輪)
楽すぎてもダメ、厳しすぎてもダメ、大事なのは中道なんだってことがわかりました。
このブログを読んでる人からしたら、「え!それだけ⁉︎」って思うかも知れませ。
でも、僕はこの経験はとても貴重な学びとなりました。
僕は昔から頑張ることが当たり前と思って生きてきました。
頑張ることがカッコいいとも思っていました。
苦行も美学だと思っていましたからね〜。
ついつい頑張りすぎて、体を壊したり、ストレスを溜め込んだり、他人と競争したり、他人に迷惑かけたり、キャパオーバーなことをして墓穴をほったり、などなど色々ありました。
さっきも書いたように、僕は悪い種ばかり蒔いていました!笑
ヴィパッサナー瞑想と出会ってからは、日々の瞑想や、沢山の尊敬する人やダンマファミリーのお陰で、僕の自我/egoエゴが少しずつではあるけれど溶けていき、頑張る事を少しづつ手放してこれた。
けど、頭ではわかっていたけど、僕の潜在意識には頑張るという根が深くに残っていました。
そして今回の歩き遍路で、頑張る事(苦行)に意味が無いと感じ始め、深くに根付いたものが掘り起こされました。
瞑想ができない日々は僕にとって意味が無いのでは。と思い始めたんですよね。
だから正直、高知で遍路を終えようかと思っていましたが、何が原因かはわかりませんが、たまたま神峯寺27で出会った見ず知らずのラオウさんが急に薬王寺23まで行きたくなり、結果的に僕を車で平等寺まで送ってもらえたので無事に結願することができました!笑
やっぱ「閏年に逆打ち遍路を満願する」って神に書いてたからかな〜!笑
頑張る事は自然の流れに逆らうのと同じ。
頑張る=努力(ヴァリア)とは違うんだとわかりましたね。
このことがお遍路という経験を通して学べたことは、僕にとってとてつもなく大きな財産となることを確信しました。
これが直接的な自分の経験に基づく智恵=バーヴァナー•マヤー•パンニャーですね
因みにですが、この得られた経験は僕の潜在意識に深く刻まれたとしたら、来世も引き継ぎ、頑張る生き方ではなく、努力(ヴァリア)する生き方を選ぶそうです。
若くて何も経験してないのに、とってもいい人とか、とっても愛と慈しみを持っている人とかいますよね。
過去世のカルマを継いで今世を生きているんですよね。
でも、逆も然りですけどね。
話しを中道に戻しますけど、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
と言うとことわざがあるように、何事も中道を歩く。
それが如何に大事かってことを学べたことが、僕の歩き遍路で得た大きな宝です✨
実にまとまりの無い内容になってしまってごめんなさい🙇♂️
でも、歩き遍路に行けて本当によかったです。
高野山には11月か12月に行きますので、行ったらブログを書きますね😊
これからもよい種を蒔き、徳を積んで、日々精進していきます。
そして、このブログを読んでいるあなたの幸せを心より願っております。
感謝を込めまして、